足の痛みがとりあえず治り、おじいちゃんの煮干しを思い出す。
皆さまいかがお過ごしですか?
このブログを読んでくださり、ありがとうございます。
これは、フルマラソンを目指す酒浸りの36歳が、日々様々な誘惑や葛藤と戦いながらの生活模様を綴る雑記ブログです。
ランニングを始めて今日で、27日目です。
前回、足が痛いけど我慢して、無理して走り続けてるという記事を上げましたが、タイトルの通り痛みが無くなりました。
無理が効いた事例となりましたが、結果論であって、また再発する恐れもありますから油断は出来ません。
一昨日からいりこをガッツリ食べてまくったところ、今日は痛みを感じませんでした。
昨日のおつまみは炒った大豆と、昆布と、いりこでした。なんかこの組み合わせがドラゴンボールでいう仙豆みたいな効果をもたらしたような気がします。
いりこといえば、僕のお嫁さんのおじいちゃんがよく煮干しを食べていました。
テーブルに常備している感じで、80歳で骨密度が40歳レベルだったとか。
妻のおじいちゃんは、国鉄の浦和駅や、宇都宮駅の駅長をしていて、天皇陛下から勲章を戴いたりしてすごく立派な人でした。
おじいちゃんは、働きながら学校に通う僕のことを「よく働いている。働らきながら勉強して偉い」と褒めてくれました。
私にしてみれば、結婚しているにも関わらず、大学に通っていることを恥じて、がむしゃらに働いていただけなのでして、おじいちゃんが気を遣って言ってくれているんだと、有難いやら情けないやらという思いでした。
おじいちゃんは僕が大学に通っている最中に亡くなってしまいました。
形見におじいちゃんが使っていたはんてんを貰い受けました。
注:画像はイメージ。フリー画像です。
久留米絣のはんてんなのですが、まさか現在住んでいる久留米に帰ってくるとは、ちゃんちゃんこも思わなかったでしょう。
息子が2歳前後の頃、私が普段、祈祷をする姿を真似して、ぶつぶつ唱えていたようです。すると突然、「ママ。ママのおじいちゃんが居るよ〜」と指をさしたところにおじいちゃんのはんてんがありました。息子はおじいちゃんが亡くなったあとに生まれました。
亡くなった人を思う時、自分に何が出来るかを考えると、「お世話になりました。愛情を沢山いただいて有難うございます。僕は立派な人になります。」と言うしか有りません。
私の両親は幼い時に父親を失ってしまったため、私にはおじいちゃんがいませんでした。せっかくおじいちゃんが出来たのに、僅かな間しか会うことができませんでした。
しかし、人と人の出会いは時間じゃないと思います。
今日の練習
5キロラン
酒と食事
回鍋肉と卵かけ御飯
大量のキャベツを消費するトドメはホイコーロですね!